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2024年4月の月報より
主の十字架の贖い
伊藤 光子
私は、時々そんな時があるのですが、
受難週を迎えて讃美歌のワンフレーズが数日間頭の中をぐるぐる回って離れない。眠っていて途中目が覚めてもその歌詞が浮かんでくる。
それが、次の歌詞。
讃美歌21の歌詞ではなく、昔から聴いて歌っていた、歌詞
「深い傷を主は負われたその打ち傷により、我は癒された」
歌詞はもっと長い。
ペテロは3度主を知らないと香み、銀貨30枚でイエスを売ったイスカリオテのユダ、復活した主に会っても信じなかったトマス…
生きていると多くの攻撃や理不尽な事辛い事、悲しい事、不安、病気による痛みや苦しみ、家族や友人との思いもしなかった事等様々な出来事がある。
主を否定し、欺き、借じなかったそれは、ペテロ、ユダ、トマスだけの事ではなく、それ自体私なのだとあらためて、思わされた
。
そんな自分を一方的な主の憐れみにより赦し救ってくださった。主は全ての裏切りや、病や痛み、苦しみ悲しみ、弱さを知っておられるから、私達の全ての苦しみをご存知なのだ。十字架の上の主の御苦しみこそが、癒しであり、赦しなのだ。
身体の癒しと共に心「霊」の癒し。
主の十字架が無ければ、私の救いは無かった。
主の十字架の贖いを心から感謝します。
ハレルヤ♥
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