top of page
2025年10月の月報より
信仰の土台
成田 正子
家を建てた時、主人が、仰が必要だと言って神棚を買った。
主人より何の言仰もない私の方が熱心になった。・・が・・心の中では努力して修行せねばという気持ちがから廻りする、納得しない自分がいた。
だんだん苦しくなり不安になり精神科に1ヶ月半入院したり色々あってキリストを言じ救われた。
神棚はダンボールに入れて棚の上に置いてあったが、私の夢の中に2人の神主が現れ、この家を守るが神棚がないと言う。
私が神棚の棒で十字架を作ったと言うと、2人の神主は去って行った。
この夢を見た事で何か吹っ切れた気持ちになり、ダンボールに入れた神棚は塩を振ってゴミに出す。
近くの神社に行きクリスチャンになったことの報告と今までの守りを感謝して帰ってきた。
孫が小学生の頃、おばあちゃんはクリスチャンだからアーメンだけどおじいちゃんは違うからソーメンラーメンなんだと言っていた事を思いだし笑ってしまうが、主人の心は今はアーメンです。
「すでに据えられている土台以外の物を据えることは出来ない。その土台はキリストである」(1コリント人への手紙 3:1
bottom of page