2025年6月の月報より
私が描いた色鉛筆画に涙を流してくれた
ある婦人のことを思って!
永幡 豊
私がベットに横になって約3年になる。7月16日で私は70歳になる。「みのりて」という障がい者事業所に来て3年、シマエナガやシマリス等を色鉛筆でプラバンに絵を書いて特殊なやり方でキーホルダーを作り平岡高校、真栄高校、清田高校の女子、清田区内の中学生に良く売れる。生きている意味を何か教えてくれている。脊髄は、痛く横になりながら食事を取っている。混沌とした生活の中で介護支援2を受け治療にも頑張っている。障がい者となりネガテイブな生き方はダメだと思い、前向きにプロテスタント者としてポジティブに生きて行こうとしている。新島襄、内村鑑=の青春期を生きた先達の伝記を若い時から読んできた。新島は、二十歳そこそこで漢訳聖書を読んで心眼を開かれ、「癒し難い渇望を満たす何ものかを求めて限りない大海に乗り出して」行くように日本を脱出した。本当に命がけの密出国であった。上海からマニラからボストンまで4ヶ月を要している。新島は言う。「もし私がこの企てに失敗したなら、それは私の国にとって少なからぬ損失になるだろう」。青春の自負が言わせた言葉だと思う。内村は、二十三歳で渡米した時「人を迷夢から解放するものとして、旅にまさるものはない」と書いている。内村は次に「我々は自分自身についてより多く学ぶために、広い世界へと出て行くのだ」と言う。私は、障がいを持っていてもこの気持ちを持ち心の世界や世界の遺跡などに行ってみたい。
主が言われたことを思い生きていこうと思います。ポジティブに障がいがあることを良いことと思い前進したいです。
「みのりて」で実際に起こったことを記します。白石区役所の外販である婦人が以前、飼っていた犬の写真を持ってきて「この写真のペットの犬を是非とも描いていただきたい」というご依頼を受けました。私は、懸命に描きました。後日、婦人が絵を取りに来てくれ「ソックリです。特に毛並みが素晴らしいです。私の犬が蘇ってくれました。」と言ってその場で大粒の涙を流したのです。この時、私は、人々の幸せに寄り添う喜びを知りました。大学院まで行ってキルケゴールの「死に至る病」を研究し理学の学位を取ったのですが、この時この婦人の涙から私の研究の解答を得られたことが本当に嬉しかったです。聖書の中に「泣く者と一緒に泣きなさい」という言葉がありますが、他人の涙を自分の涙として泣くことがどれだけあるでしょうか。ピリピ4、19「私の神は、キリスト、イエスにあるご自身の栄光の富を持って、貴方がたの必要をすべて満たしてくださいます」今後も横になりながら画板を持ち色鉛筆画を書いていきます。
「みのりて」にてこれからも。